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[序]


布衣をはじめるまえ(ちょうどコロナ禍にさしかかった頃、一度目の緊急事態宣言発令あたり)焙煎に関する文献にあたっていた際にある先人の見立てをみた。

そこにはもっともらしくこう書いてあったのだった。

「茶の湯はエチオピアのコーヒーセレモニーを巧みに導入したものだろう」

と。

ある先人とは銀座[カフェ・ド・ランブル]の故・関口一郎氏のことである。

103歳の大往生だったという氏がおそらく90歳当時に書いた【マスターのコラム】

が簡潔なコラムながらも実に読み応えがあって、それを書いていたであろう同時期にお店にうかがった際に氏は焙煎機の前で銅像のように座っていた“だけ”だったのだが、実のところ氏の頭の中は90歳とはとても思えぬほど明晰そのものだったことに驚き、殊更の敬意を10年以上後になって持ったのであった。


さて、先のそれについて果たして本当なのだろうか?とぼんやりと考えているうち、なぜかそれが妄念のようにして頭から離れなくなってしまった。

焙煎の文献に触れていたのと前後してある分野の論文を読む機会に接していたため、論文検索サイトでそのついでにと調べてもすぐに直接的な確証、論拠が出てこない。

そこで途方に暮れ諦めるどころか、知的欲求は掻き立てられるばかりである。


かくして、布衣の非公然活動として関口氏の見立てを立証するという勝手な試みがそれとなしに始まった。

途中暗礁に乗り上げそうになりながらも何故だかここ最近とくにその活動が楽しく、自身のメモも兼ねてここにそれを記していくことにした。

出会う賢者にこの話題を振ってみると、多様な回答(推論)を展開させていくことも、立証の手がかりを掴むことと同様に賢者の思考の水脈を見るようで実に面白いのだ。

そして立証の手がかりを持つ賢者に出会うのなら、どんな遠く、どんな僻地に行くことも厭わないだろう自分にも気づいた。

あらゆる予定を差し置いて行きたいとさえ思う。

それがなぜなのかはわからない。


珈琲、茶の湯、漢方、宗教、文化人類‥クロスオーバー的に喫茶の歴史的ダイナミズムを感じつつも史実がつまびらかになればと願う。

それがいつになるのかもわからないが−−。


題は、日本に茶の文化を持ち込んだとされる栄西著[喫茶養生記]から拝借したのは言うまでもない。

賢者に出会うための紀行文も兼ねる可能性も加味して最後を「紀」とさせていただいた。


論文検索サイトの検索バーの下にはいつもこの言葉が鎮座している。

「巨人の肩の上に立つ」。

面識もない巨人・関口一郎氏の肩の上に臆面もなく立たせていただくとともに、この[喫茶養生紀]がわずかながらでも後人のそれになると信じて。


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ご興味のある方は不定期となりますが以降お付き合いいただけたのなら幸いです。

はじめのうちは大味のものになると思うのですが何卒ご容赦ください。


どうぞ、一服のおともに。



次回喫茶養生紀 2は、[世界を旅した友をたずねて]

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