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珈琲を飲むとき、本を読むときに、それがどこからどんな風にしてやってきたのか想像することが、結果として美味しさに繋がったりする。

珈琲はトレーサビリティが主流となり、それが安心に繋がって、その安心が美味しさに通ずるというのは言うまでもない事実だが、そこから派生して、手を加えた人々の働き方や暮らし方、もっといえばこれを手にしていたときどんな気分だったのか。そこに想いを馳せることで美味しさが層となり味に血が通う感じがする。

新しい本より古本が好きなのは、代々読んで来た色んな人の想いも本が記憶しているような気がするからかもしれない。

たまに線なんて引いてあると、前の持ち主と会話しているような気分になる。

本棚を見ればその人がわかるというけれど、珈琲は焙煎している人の全ラインナップを飲むと、その方の人となりが垣間見えるようだ。

新しい本でも、できれば本屋さんで買いたい。

しかも、小さくても多少遠くても良い店員さんがいる本屋さんで。

携わってきた全ての人と直接会話が出来ずとも、珈琲や本から語りかけてくるような気のあるもの。

それが余韻となり記憶となるように思う。


文も、喫茶もまた人なり。

装丁や外観だけでは、何もなすことが出来ない。

お客さまの誠実さに、誠実であろうと改めて思う。

よくあろうと思う。


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